島田紳助がNSCで語った【運と計算】全文書き出し

【動画有り】島田紳助がNSCで語った【運と計算】全文書き出し

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島田紳助がNSCで語った【運と計算】全文書き出し



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以下、全文書き出し。



8年間で1回も喧嘩したことないもんね。舞台10回のうち2回か3回しか真剣にやらへんのよね。
でも相方はいっつも全力でやる。それでも舞台終わって「おい、真剣にやろうぜ!」とか一切言わんかったもんね。
「あいつは何か考えてやってるんやな」って思ってくれてたんやな。


甲子園はテレビやから舞台で活躍して終わろうなんて一切考えてなかった。
テレビは運って言う人いるけど、一個だけ運があるとしたら【誰が同期か?誰がライバルか?】ってことやね。


巨人阪神がおらんかったら、もうちょいまとまな漫才を考えたね。
入った時に巨人阪神の漫才見たらビックリしたね。ヨシモトにドラフト1位で入った漫才師なんやけど、初めて見た時「こらアカンわ」って。
地方巡業で九州行った時、風呂場ん中で「紳助兄さん何しはるんですか?僕も相方決めて漫才やるんですよ。」言うて「他になにしてたん?」言うたら「モノマネも」言うてね、俺もモノマネ自信あったから「ちょっとやってみいや。」言うてやらせたら「あ、これがプロなるやつのモノマネか」おもてね、ほんじゃ「兄さんもモノマネやってください」言われて、とっさに「俺モノマネできへんねん」言うてね。
それ以来、絶対せんとこ!思ったもん。だって負けるもん。俺らは勝つことしかしたらあかんねん。巨人阪神の漫才も見て、漫才やらんとこ思ったもんね。


当時は髪の毛切って七三分けしてキッチリやっとったんよ。でも、さんまと同期やったんはラッキーやったね。天性の明るさ。スターや。
なんでもないサードゴロをファインプレーに見せれるの。それは華があるから。24時間明るい。これは人気者になる奴や。絶対無理や、ここには勝てへん。


正統な漫才は無理、スターにもなれへん。ほな、どうしたらええんや?悪役になろうぜと。ヒールでええんや。
もともと、京都の不良少年や。自分が一番近い世界で、自分しか知らんこと沢山ある。それを笑いに変えたらええんや。
怖いやつは笑えへん。でも、怖そうな奴が弱かったら笑えるやん。
ほんで、ツナギにしよとか、リーゼントにしよとか、まぁ行くたびに怒られて「なめてんのか!」とか、怒られ続けてたら、向こうも怒り疲れるんよね。


正月の出番初めてもろて言われてん「正月はわかってんな?あんな衣装あかんぞ!」当時は紋付袴姿かタキシードできまっとってん。
それで、正月の出番、真っ白のツナギに「賀正」て書いて出たんよ。ほなこっぴどく怒られてね。
でも、最後まで「これは正月しか着れません。正月衣装です」言うてね、じゃあ徐々に理解者が現れるんよ。面白い!言うてね。


でも、結果は残さなあかんよ?
梅田花月は土曜の晩に月1回舞台があるんよ。
で、そこには切符を売る奴が出れるんよね。
でも、俺らは一切売らへん。でも必ず出れるんよ。なんでか?俺らが一番オモロイからや。
あんなもん、売らんでええねん。だって気分ええやんか?同期が頭下げていっぱいチケット売って、俺らは一切売らずに、それでも俺らが一番爆笑とったら。
これ最高やで?言うて。まぁ、支配人とこ行って「出してくださいね!売らへんけど一番面白いから。」言うてね。


初めは努力したよ。いつも劇場行って「出番ください!」言うて、ほな「12時からもう出番いっぱいやから」言われてんけど「じゃあ、11:45に幕開けてください。一発でええんでやらせてください。12時からやったらお客さん入ってるでしょ?」言うて無理矢理出番作らせてもらったわ。
21でコンビ組んで23の時に、もう大阪ではいっぱい仕事できてたからね。コンビ組んで2年で豊かな暮らししてましたわ。



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