EVERY DENIM(エブリデニム)代表の山脇耀平さんに初の独占インタビューをしてきました。

エブリデニム 山脇耀平 ゴーゴーケンゴ 対談

EVERY DENIM(エブリデニム)代表の山脇耀平さんに独占インタビュー

EVERYDENIM(エブリデニム) 山脇耀平 インタビュー ゴーゴーケンゴ



今回はクラウドファンディングを通して、耀平さんとお会いする機会を作れたので、話の中で僕が面白いと思ったところをピックアップしていく形で書いていきます。


ネットで調べても、お二人の詳しい話って意外と出てなくて全て推測・憶測でしか書かれてなかったので、この記事を通して耀平さんのヒトトナリを伝えていければと思います。
後日、動画もアップするのでチェックお願いします。


EVERY DENIM(エブリデニム)とは?



Forbes誌が選ぶ、「アジアを代表する30歳以下の30人」としてRETAIL&ECOMMERCE部門で選出されたり、ガイアの夜明けで取り上げられたり、クラウドファンディングで776万円を調達したりと破竹の勢いで駆け上がるデニムブランドです。


以下、EVERY DENIM公式サイトから引用。

「ぼくたちは、何をしているブランドなのか。」
考えても、よくわかりませんでした。

「ぼくたちは、何と言われたら嬉しいのか」
考えたら、簡単でした。

「毎日、EVERY DENIM履いてます!」

その声を聞きたくて
デニムを作っているのでした。

みんなが、毎日履ける
”地球着(ちきゅうぎ)”を目指して
ぼくたちは、今日もデニムを届けます。

みんなの、毎日に寄り添うために、
EVERY DENIMと名付けました。
参照:EVERY DENIM


工場のことをもっと多くの人に知ってもらいたい。
 そうすれば、素晴らしい技術を後世に繋いでいけるはず。」

そんな想いから2014年12月「EVERY DENIM」はスタートしました。
参照:EVERY DENIM




EVERYDENIMは兵庫県出身の兄弟で立ち上げたデニムブランドです。
デニム兄弟として活躍するお二人の略歴をご紹介します。

兄:山脇 耀平さん




小学時代はソフトボール
中学で軟式野球
高校で硬式野球


野球漬けの少年時代を経て、筑波大学に進学。




入学当初はTHE・大学生の生活を送っていたが、休学しweb製作会社・ファッション系ベンチャーでのインターンを経て、「瀬戸内のジーンズの製造現場から情報を発信する、日本初のジーンズ専門のWebメディア」EVERY DENIM MAGAZINEをリリースする。




EVERY DENIM エブリデニム 山脇耀平 ゴーゴーケンゴ


僕の相方含め3人で呑み対談だったんですが、全員元高校球児ということで野球談話で盛り上がりました。
ちなみに、僕も小中高ずっと野球で左投手だったんですが、耀平さんも左投手という共通点があり、いきなり親近感!!

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弟:島田 舜介さん






今回の対談では弟で共同代表の舜介さんは居なかったんですが、耀平さんの話を伺うと、、、


中学で陸上←かなり有望選手だった。
高校ではスポーツを辞め帰宅部
大学進学で岡山大学に進んだ際に、昔から好きだったデニムの製造現場を見たいと瀬戸内の工場に兄と足を運ぶ。


ここは、舜介さん発信で耀平さんは引っ張られる形でついて行ったそうです。


その経験がお二人の人生を大きく変えるものになりました。


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ブランド先行ではなくメディア先行だった。



ここから僕視点のまとめです。




デニムブランドって響きがめちゃカッコイイですよね。
ミーハーな僕からしたら、




「ブランドを立ち上げる。」




ってだけで、半分満足してしまいそう。。。


しかし、エブリデニムはEVERY DENIM MAGAZINEというメディア先行で始めたんですね。


そこには、お二人の

「工場のことをもっと多くの人に知ってもらいたい。」



と、いうアツい想いが当時からブレずにあったからなんですね。









そして、約2年前の2015年から本格的に「EVERY DENIM」としてブランドを立ち上げ、これまでの情報発信のみで止まらずに「ブランド」という形でより多くの人に届けたいと活動するようになりました。


このブランドの成り立ちがすごいナチュラルな流れで僕は素敵だなぁと思いました。


瀬戸内の工場に何度も足を運んで現場を見てきたからこその想いの強さですね。

EVERYDENIM(エブリデニム) 山脇耀平 インタビュー ゴーゴーケンゴ



そして、兄の耀平さんは第一回ジーンズソムリエ資格認定試験に合格




この試験はデニムの歴史についてと言うより、デニムの作り方についての方が重視される試験だそうです。


デニム生地で作られたズボンが『ジーンズ』と呼べるそうで、デニム生地とはインディゴ染めした縦糸と白の横糸を3:1の割合で織って出来る生地のことみたいです。


なので、ブラックデニムやホワイトデニムと言うのは本来デニムではないとの事でした。


デニムの話をする時の耀平さんはまるで我が子の話をするお父さんのような暖かさが溢れてました。



無知だからこそ突き進めた。

EVERYDENIM(エブリデニム) 山脇耀平 インタビュー ゴーゴーケンゴ


耀平さんとの対談の中で、凄く印象に残ったのが、



『何も知らなかったから一歩踏み出せたんですよね。』





という言葉で、現代ってネットやSNSの発展で限りなく多くの情報に簡単にアクセス出来るようになった代償として、『プロレベル』がすぐに見えてしまう。という事を仰ってたんです。



 何か新しい事を始めようとしても、すぐにその道のプロレベルが見えてしまう事によって、


「やっぱプロはすげーな。俺には無理。」


と、なってしまう事が非常に多いと。


誰もが最初は初心者からのスタートで、一歩一歩地道にステップアップしていく事でプロレベルになって行くのに、初心者の段階でプロレベルをいきなり目の当たりにすると尻込みしてしまう気持ちはわかりますよね。



「その点、僕たちは無知だったからこそ突き進めた。」




これは、一歩踏み出す勇気を持ってる人間の特徴でもあるなと思いました。


根拠の無い自信=無知でもあるんですね。


何も知らないからこそ、根拠の無い自信が持てるもんで、子供の頃の夢がバカデカイのも無知ゆえの自信なんですね。




そして、大切なのは現実を突きつけられ、自分の無知、無力さに気付かされた時に、どう振舞うか?


そこで、




「うわ、、、俺全然あかんやん。辞めよ。。。」




となるのか、




「めっちゃ悔しいわ。絶対見返したる。」




となるのか、




この差が一歩踏み出し続けれるかの分かれ目だなと。




そして、1人なら心折れてたかも知れないが、2人なら強い。

耀平さんには舜介さんと言う、信頼出来る弟がいました。




兄弟が兄弟じゃなくなったあの日。






耀平さんと、舜介さんは昔からずっと仲良しだったのかと思いきや、耀平さんが高校野球を引退するまでは全く喋らなかったそうです。




お二人の関係が変わったのは耀平さんが野球部を引退してからでした。


当時、舜介さんは帰宅部だったので家にいる事が多く、野球部を引退した耀平さんも家で過ごす時間が増え、その頃から兄弟で過ごす時間が増えたという事でした。




お互いがまだ10代後半の一番多感な時期に腹を割って話し合う時間が取れた事で、ただの兄弟という関係から1人の人間として信頼できるパートナーになれたと言う事でした。




弟・舜介さんの道なき道を切り開く大胆なパワフルさと、兄・耀平さんの周りを味方に引き込む繊細なバランス感覚がお互いのポテンシャルを最大限発揮するのにビタッとハマってるように思いました。

ちなみに、お二人の苗字が違うのはなぜか?



よく聞かれるそうですが、弟・舜介さんが二十歳の時に母方の性を継いだので「山脇→島田」になったそうです。


ネットの情報なんかを見ると、離婚だの養子だの適当な事が書かれてますが本人から聞いたのでこれが真実です。



まとめ

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僕がEVERY DENIMを知ったキッカケはフォーブスの「アジアを代表する30歳以下の30人」に選出されたのを見た事でした。


その後、ゴールドジムでテレビを見ながらウォーキングしていたら「ガイアの夜明け」で特集されていたので、そこで新製品【Brilliant】の誕生秘話を見て、一気に興味が湧いて「会って話してみたい!!」となりました。




そして、クラウドファンディングで支援させて頂いて、今回こうして御縁を頂きました。




僕自身、折角お会いするのにただ

「いや〜、刺激的な話で楽しかったです!」

で終わらせたくなくて、「タダでは帰らない精神」で動画撮影・記事作成・自叙伝お渡し、そして【ビッグイベント】の提案をさせて頂きました。


そこについても、快諾して頂けたので年内また更に加速していきそうです!!




クラウドファンディングやVALUなど今あるツールを上手く使えば「もっと面白く生きていける!」と再実感できた日でした。





動画の方も編集中ですので、アップしたらまた見てみてください。

ありがとうございました!!

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