目次(クリックすると読みたい部分まで飛べます)
キングコング西野氏の歴史を振り返る。
どーもキングコング西野氏の一番弟子のゴーゴーケンゴ(@KNGrits)です!
先日、革命のファンファーレの出版記念BBQに参加してきたのですが、その際に『僕を弟子にしてください!』と頼んだところ『おー!良いねー!!ついに俺にも弟子が出来たか〜』と軽く快諾されたので、公認を得たということですね。はい。
キングコング西野師匠の17年間。
一番弟子になったものの、何かがある訳ではないので勝手に動いて行きます。
そして、考えてみたらキングコング西野師匠の活動の歴史って、あんまり把握してないなと思いました。
- はねとびに出てた。
- めちゃ炎上してた。
- NYで個展みたいなんしてた。
- アメトークでめちゃイジられてた。
- 絵本出してた。
こういう、単発での印象は沢山あるんですが、逆にありすぎて時系列とかよくわからなかったのでウィキペディアを見ましたが、ウィキペディアにも微妙に載ってないんで、色んな記事から調べて自力でまとめました。
評価ってのは、僕個人の肌感なので知りません。
こうして見ると、激動の芸能生活ですよね。
お笑い芸人・キングコング西野として
19歳でお笑い芸人になり、1年で漫才大会の賞を総ナメ。
25歳にしてゴールデン番組の中心人物として毎週視聴率20%超。
この時は冗談抜きに2日に2時間ほどしか寝てなかったそうです。
あまりの過酷さに相方の梶原氏が失踪するほどでした。
そこまで上り詰めた先で西野氏が見たのは【絶望】だったと言います。
たけしさん、さんまさん、タモリさん、ダウンタウンさん、ナイナイさん、そういった時代を創っていったスター達と肩を並べれる程にテレビに出て活躍していたハズなのに、これ以上ない環境で4番打者を任せてもらってたのに、ホームランが打てなかった。この人たちと同じ山を登っていては絶対に追いつけない。
そう感じたんですね。
そこから、はねとびが終了し東京でのレギュラー番組がゼロになり芸人として失速していったのかと思いきや、ここからが今の西野氏のスタートでもあります。
肩書きではなく在り方としての『芸人・西野』誕生
今の時代、職業は1つだけではなく、いくつも持つのが徐々に認められ始めてますよね。
副業って言葉自体が古いとさえ言われる時代に突入しています。
そんな中、肩書きって必要なんでしょうか?
肩書きではなく”在り方”として芸人でいる。
西野氏がその道を率先して切り拓いていってますね。
もちろん、西野氏だけではなくネットを活用し活躍される方たちは多いですよね。
”お笑い芸人”という肩書きを捨てて、今の西野氏がスタートしました。
ここまでのキングコング西野氏のまとめ。
- お笑いを始めて”たった1年”で漫才大会の賞を総ナメした。=素早く結果を出す
- テレビに出ながら2日で2時間しか寝れない程に日々、ネタ作りやお笑いのスキルを上げ続けた。=プライドと責任感
- はねとびで「真面目な人」という芸人として一番やりたくない立場を全うした。=置かれた場所で結果を出す。
- 立場を全うした結果、物凄く嫌われた。=世間のズレや理不尽さに直面。
- 噛みついて炎上して、物凄く嫌われた。=炎上するメリットとデメリットを体感。
お笑い芸人としてのキングコング西野氏は【どんな場所でも活躍できる人材】だったと言えます。
プライドと責任感の強さからストイックに研究することを怠らず、結果を出すことに執着する。
その西野氏なら、お笑い芸人としてももっと嫌われキャラを上手く活用して、いじられキャラでテレビで活躍していく事も十分に可能だったハズです。
しかし、西野氏は溢れ出るナルシズムから『スターになりたい』という自分の欲望に素直になる方を選択したんですよね。
その結果『嘘をつかない。』という事を決めて、認知タレントから人気タレントへ路線変更していったというワケです。
ここからがスゴイぞ。西野さん。
人気タレントへ路線変更しようにも『嫌われ芸人』として名を馳せてた西野氏。
そこから、何をやったかというと独演会ですね。
チケット2000枚を手売りで完売させるなど。
この辺りから『信用を稼ぐ』という事を地でいってたんですね。
はねとびがゴールデン番組になり、お笑い芸人として最盛期のハズだったのに、2000人キャパの会場で450人しか集めれなかった。
という、経験が紐づいてそうですね。
ここで堀江貴文氏が『東大から刑務所へ』で語っていた内容を思い出しました。
『人の記憶はアップデートされる。』
つまり、認知タレントは熱狂的なファンが少ない為、たとえ嫌われたとしても”浅く嫌われる”だけなんですね。
大衆のほとんどがなんとなく、西野氏を浅く嫌いになってただけなんです。
そこにチャンスがあったんですよね。
『実際に会ったら、めちゃ良い人やん!!』
このインパクトが大きいんですね。
ギャップってやつです。
だからこそ、手売りにして直接会う人間の数を増やした事が『信用を稼ぐ』に繋がったと言えます。
あとは、その接点を増やしていくだけ。
独演会も絵本の制作も販売もハロウィンのゴミ拾いも全て、より多くの人と直接会う”接点”なんですね。
オセロの角を取るという事。
西野氏は著書の中で『オセロの角を取ってるから、最後にバーンとひっくり返すだけで良い。』と語ってるんですね。
この”オセロの角”とは何を示すのか??
【自社商品こそオセロの角】
西野氏で言うと、魔法のコンパスやえんとつ町のプペルや革命のファンファーレなんかが自社商品ですね。
この商品は西野氏が話題になればなるほど売れます。
いくら、批判されようとも炎上しようともニュースにされる事で西野氏の存在に興味を持つ人が増え『西野って何者やねん!』と気になり本を買う人が増えるワケですね。
僕も今、自社商品を作りにかかってるのでそこにもガッツリ反映させようと思います。
革命のファンファーレの歩き方
革命のファンファーレは2回読めます。
- 1回目は自分の脳がまっさらな状態で『西野スゲー!!』と叫びながら読みましょう。
- 2回目はこの記事を読んで、西野氏の歴史の流れを踏まえた上で読みましょう。
過去、めちゃめちゃ炎上していた西野氏が今、いかに炎上の旨味だけを抽出して活用してるかが分かります。
過去のブログ『西野公論』が現在では見れないのが残念ですが、LINEブログの方は2016/3/17から更新されてるので、そちらは全部見れます。
革命のファンファーレを読んで、ただ『いや〜、やっぱ西野スゲーな!!面白い!!』で済ますなら、それは読んだうちに入りません。
【表現物の意味をとる=読む】というならば、革命のファンファーレの意味をとるって事ですよね。
革命のファンファーレの意味ってなんでしょう?
西野亮廣は、惜しげもなく、手品のタネを教えてくれている。ただ、西野亮廣は天才的なマジシャンだということを忘れてはいけない。-秋元康
帯に秋元康氏が書いてるんですが、まさにその通りですよね。
革命のファンファーレは西野氏がどう考え、どう行動し、どう結果を出したか?が具体的に書かれてるんですね。
革命のファンファーレを読んだだけで何かが変わるなんてあり得ないんですよ。
タネだけ知っていても実際にやってみると全然できないですよね。
だからこそ、僕らは練習していかないといけない。
タネを知ってても、はじめから上手く出来る人なんていないので。
練習あるのみ。
【1万時間の法則はウソ】
どんな初心者でもどんな事でも1万時間をかければ、プロレベルになれるて話があるけど、それだけやと弱くて、濃い時間じゃないといけない。
僕らが意識すべきは1万時間かける事より、1秒でも濃い時間をかける事。
まだまだ薄いぞ俺の1秒— ゴーゴーケンゴ(kengo) (@KNGrits) October 3, 2017
濃い1秒を1万時間かけたら絶対超えれる。
僕らにはその1万時間を使える権利があるという強みを忘れてはいけない。
革命のファンファーレを読みたいと思った方は是非、僕のTwitterをフォローしてチェックしておいてください。
Twitter垢→@KNGrits
この7冊をプレゼントする方を応募しようと思うので、ツイート見といてください。
【#交換日記のファンファーレ】というのを考えていて、手元にある7冊を誰かにプレゼントして、読んだら感想を書き込んで次の人にプレゼントする。といった事です。
詳しくはこちらの記事に書いています。
これ自分だけでなく、勝手に色んなところで広まってくれたら良いなと思ってるんで是非、革命のファンファーレ余ってる方はやってみてください。
こちらも合わせてお読みください。
ちょっとでも「ええな」と思ったらフォロー&シェアほんまヨロシクな!!