銀座をスッピン・Tシャツ・サンダルで歩いたら、ラグジュアリーブランドの本質がみえた。

ラグジュアリーブランド

銀座をサンダルで歩いた。

今、東京の八重洲周辺に住んでるんすけど、よく新橋・有楽町あたりで飲むんですよね。
なので、銀座は良く通るんですがみなさんの銀座のイメージってどんなんですか?

日本一の高級街
この一言に尽きるのではないでしょうか?w
実際、東京に来てはじめて銀座に行った時はしっかり髪の毛もセットしてジャケットも着て行きやした。
が、やはり環境適応能力が著しく発達している僕からすれば、3日も同じとこにいたら慣れてしまうで、
サクッと飲みに行く程度なら、スッピン(ヘアセットしないという意味)Tシャツサンダルで、近所のコンビニ感覚で行ってしまう。
しかし、僕からしたら「近所のコンビニ」の距離感に銀座が含まれてるので、いたしかたないと思ってやした。

「銀座」というブランドに飲み込まれていた。

では、なぜ「銀座」という街ではサンダルで歩いたらいけないという固定概念があったかというと、
銀座=日本一の高級街というイメージを大阪にいた時から植えつけられていたからで、
それはテレビの中の銀座という街が高級ブランド店が立ち並ぶ場所で「ザギンでシースー」がお金持ちの合言葉だと洗脳されていたからでした。

実際、東京にきて毎日のように銀座周辺を歩いていたら「近所のコンビニ」感覚になってしまったので、
そのブランドに対する心理状態の変化が面白いとおもい、ラグジュアリーブランドについて考えてみたら本質がみえてきました。

距離が遠いからこそイメージがつくれる。

以前かいた周りに嫉妬するのはもう終わりにしよう。本田圭佑と星の王子様からみる美学の違い。にもあるんですが、
憧れって自分との距離が遠いからこそ起こる感情なんすね。
なので、大阪にいたときは「銀座」という街が物理的遠かったので憧れやすい状況だったと言えます。
それが、上京して状況が一変したんすね。

これは物理的な距離だけでなく心理的にもいえるかなと。

人がラグジュアリーブランドに憧れるのは「買えない」からなんすね。

値段が高いのでなかなか気軽には買えない。でも欲しい。という心理で憧れに変わるんすよね。
エルメスに憧れてもユニクロに憧れを持ってる人はあまり聞かないっすよね?
これは「売れない」ではなく「売らない」中田英寿が1本17万円の日本酒を作った理由がカッコイイ。でも言ってるところなんですが、あえて「売らない」戦略が人々の憧れになる手段でもあるんすね〜
そして、買ったことがないから、行ったことがないから、使ったことがないからこそ、想像力が働くんすよね。

ラグジュアリーブランドの本質は「顧客から遠ざけること」

ラグジュアリーかどうかって見た目とかクオリティ以上に希少価値があるかどうか?だと思っていて、
それこそ、ユニクロのクオリティってめちゃ高いし、見た目もイイけど、大衆化されてるからラグジュアリーではないんすよね。
逆にエルメス、ヴィトン、プラダなどなどラグジュアリーブランドと呼ばれるのって価格で希少価値を出してるんですね。
Tシャツ1枚で3万とかって意味わからんくないすか?
でも、3万するからこそ僕みたいな庶民は買えないわけで希少価値が出るんですよね。
1枚500円のTシャツはみんな買えるから希少価値がないんですよ。
だからこそ、顧客から遠ざけることがラグジュアリーブランドの本質だと思うんすよね。

もともと、オートクチュールがラグジュアリーの概念であったのに、アンディウォーホルがマドンナやトマト缶の作品を世に出して、それが「超イケてる!」となって大量生産=ダサいという概念が薄れたのを皮切りにブランドが自社のロゴを全面に出してロゴに価値をつけたことで、今のラグジュアリーブランドは出来上がってきたので実は希少価値があるかどうか?ってことよりも「希少価値があると思わせれるか?」が今のラグジュアリーブランドを形成するキーだと思うんですね。

もちろん、ラグジュアリーブランドと呼ばれるもののクオリティは非常に高いと思うんすけど、
ユニクロの10倍の価値があるか?と思えば、んーどうでしょう。。

今回はファッション業界のブランドを引き合いに出したっすけど、これって会社のブランドとかも同じことが言えるよね〜
入社前は憧れの会社やったけど、入社してみたらその感情は無くなっちゃうってよく聞きますね。

ラグジュアリーブランド