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村上春樹の『ドライブマイカー』とは?
こないだ、村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」を読みました。
その中にあった『ドライブマイカー』という話に出てきた思想が心に引っかかったので書いていきます。
以下、ドライブマイカーあらすじ。
家福は俳優で、台詞の練習をするために舞台に出演するときは車を運転して仕事場まで行っている。ところが接触事故を起こし、運転免許停止となった。同時に検査で緑内障の徴候が見つかり、事務所からも運転を止められる。そこで自動車修理工場の経営者である大場が、運転手として若い女性を推薦してくれた。2日後、黄色のサーブ900コンバーティブルの助手席に乗り、女に近くを運転してもらった。女の名前は渡利みさきといった。みさきは翌日から家福の専属運転手となった。
家福は助手席に座っているとき、亡くなった妻のことをよく考えた。女優の妻は時折、彼以外の男と寝ていた。家福にわかっている限りでは、その相手は全部で4人だった。
首都高速道路の渋滞中、みさきは家福に「どうして友だちとかつくらないんですか?」と質問する。家福は「僕が最後に友だちを作ったのは十年近く前のことになる」と答える。
妻が亡くなって半年後、テレビ局で高槻という名前の俳優と顔を合わせた。家福の知る限りでは、高槻は妻が性的な関係を持った男たちのリストの末尾に位置していた。翌日、二人は銀座のバーに行き、友だちになった。以後、都内のあちこちのバーで酒を飲み、あてもなく話をした。
その夜二人は根津美術館の裏手の路地の奥にある目立たないバーで飲んでいた。高槻が話した言葉は、曇りのない、心からのものとして響いた。ほんの僅かなあいだかもしれないが、その隠された扉が開いたのだ。それが演技ではないことは明らかだった。それほどの演技ができる男ではない。
参照wikipedia
登場人物
- 家福=演技派で地味な俳優、主人公
- みさき=家福専属の運転手
- 家福の妻=主演女優、亡くなった
- 高槻=若手俳優、家福の妻と関係を持っていた
ストーリー自体はシンプルで、家福が亡くなった妻と浮気関係にあった高槻に「なぜ、妻はこの男と寝たのか?」を探ろうと近づいた。という回想をみさきに話していくというもの。
内容も面白いんですが、こういう小説って一言ずつに深い意味があったり、
考えさせられるキッカケを与えてくれるんで好きなんですよね〜
今回、ドライブマイカーを読んで感じたのがこれ。
ストレスを溜めずに人と付き合う為の考え方
みさきが言った言葉で印象に残ったのが、
その人はそういう病やと思う。
と、いう言葉で、これは家福の妻が浮気をしていたことについて発した言葉なんすけど、
普通だったら「浮気は最低!」とかって言いがちやし、
「しょうがない」と頭では理解しても、心で受け入れるにはなかなか理解が難しいじゃないですか?
それを「そういう病」やと思えば、ちょっとは受け入れやすくなるんじゃないかなぁと思ったんすよね。
人の本心なんて、わかりっこないし、そんなものはそもそも存在しない。
自分にとって不都合な事は、その人がそういう病なんだって思いこむ。
その方が結果として受け入れやすくなると思う。
他者との線引きがポイント
アドラーの心理学でもあるように、他者との線引きがポイントやと思っていて、
自分の力で変えれないものに干渉しても疲れるだけ。
他人が変わるキッカケを与えることはできても、直接変えることなんて出来へんし、そこに無駄なストレスを感じるくらいなら、その人はそういう病なんやって思った方がラクやんね。
小説は想像力を掻き立てられる。
小説とか本の良いところって、自分のペースで読み進めれる事やと思ってて、だからこそ色んな思考が出来るんよな。想像が膨らんでいくし、自分で映像を妄想できるし。
それがテレビとか動画やと自分のペースで情報を処理できひんから、想像力を使わなくても流れちゃうって問題があるよね〜
ま、それもテレビのええとこであり悪いところ。
表裏一体、メリットデメリットは共存してるってことっすね。
まとめ
人間関係で悩む事が多い人は、思い切って全部病気のせいにしてしまおう。
相手の欠点も自分の欠点も、お互いの個性やし、その欠点があるからこそ、長所が成り立ってるわけなんで、長所の方に目を向けてみましょう。欠点を考えて悩むくらいなら開き直った方がマシやと思うんで。