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ありがとうの反対語は当たり前。
どーもゴーゴーケンゴ(@KNGrits)です!
ありがとうの反対語って、なかなか意識したことないですよね。
これって漢字にするとわかるんですが【有難う】って有る事が難しいと書くんですね。
では、その有難うの反対は「有ることが易しい」ですよね
有る事が易しい=当たり前なんですね。
ありがとうの反対語は当たり前って言っても、普段生活してるなかでいちいち「あ〜ありがてぇ」なんて思いませんよね。
それはなんでなんやろ?とおもって考えてみました。
どういう思考で『当たり前』って感覚になるのか?
身の回りで【当たり前】の事を挙げて見ました。
- ご飯が食べれる。
- 冷暖房調節して快適に寝れる。
- 服着れる。
- 靴履ける。
- 携帯充電できる。
- 学校に行ける。
- 仕事がある。
などなど、普段意識せずに当たり前だと思ってる事って無数にありますよね。
マニラでは日本の当たり前が当たり前じゃない。
別にマニラに限らずなんですが、ちょうどこの記事を思い出したので。
ここに住む人たちに上記の事を当たり前だと面と向かって言えますか?
視点が近くなるのが『当たり前』の原因
どういうことかと言いますと、普段生活してるときはもちろん「今」をみてますよね。
目の前のことをみてるから視点が近いんですよ。
だから、周りが見えてない。
そりゃ自分一人の視点しかなければ、ありがたいのか当たり前なのかわかりませんよね。
じゃあ一転して遠くから見てみましょう。
今、自分が学校に通えてるのはなんで?
今、自分がゴハン食べれてるのはなんで?
今、自分が勉強できるのはなんで?
今、自分が戦争に行かなくてもいいのはなんで?
今、自分がこうして生きていられるのはなんで?
自分の視点を少しずつ自分から遠ざけてみましょう。
普段の生活が本当に当たり前でしょうか?
日本で生活してたら当たり前の事も一歩外に出て、もしここがマニラだと想像したら、もう少し有難いって思えるんじゃないでしょうか?
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