物議を醸した記事をあえて狙って書いた意図とは?

ゴーゴーケンゴ 秘密

何としてでも届けたい事がある



なぜ、僕が顔出し・実名でブログをやってるのか?
それは、何としてでも届けたい事があって、覚悟決めてるからです。

  1. 悪い事態(に多大の努力がいるの)を予測して心の準備をすること。
  2. 迷いを去り道理を悟ること。



これは【覚悟】の意味らしいです。


僕が届けたい事って何か?



『人生最後まで諦めんなよ!!』



って事です。
人は大なり小なり悩みを抱えながら生きてます。
ポジティブに見える人も成功してるように見える人も、全員悩みを抱えて生きています。
悩みがあって不安になるのは良い事なんです。不安があるからこそ、人って頑張れるんですね。
テスト前、不安やから勉強頑張れるのと同じなんです。


でも、そこで諦めたら終わりです。


「自分にはどうせ、、、」


「俺そんな才能ないから、、、」


そんな人生僕は嫌です。
僕の著書【All is well~みんな昔は子どもだった~】に込めた想いに通ずるんですが、
みんな昔は何もできない子どもなんですよ。
今はスゴイ人でも初めはみんな初心者からなんです。


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だからこそ、諦めずに継続する事が大事。
人それぞれ何かしらの才能を生まれ持ってます。
これは表裏一体なので間違いないです。


しかし、多くの人は自分の才能に気づく事なく、自分で自分を見限ってしまうんですね。


「俺には才能なんてなかった。。。」


そうじゃないんですよ。
厳密に言えば、その分野において才能はなかったかも知れませんが、他の分野では絶対に才能あるんですよ。
自分が自分のこと、信じてあげなくて誰が信じるんですか?




僕の肩書きに【多動力で生きるプロ自己中】ってあるんですが、
この【プロ自己中】てのは、自分を主観と客観の2つに分けて考えるんですね。
客観の自分が主観の自分を励ましてあげる。勇気づけさせる。
自分で自分の事を大切にして信じてあげる。
そうじゃないと、自分に対して失礼でしょ?
産んでくれて育ててくれた親に失礼でしょ?

自分で自分を大切にする。



これはアドラー心理学の【他者との線引き】にも近い話ですね。

批判と排他は全く違う

批判とは?

良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること

排他とは?

自分(の仲間)以外のものを排斥すること。



これ、混同されてる方が多いですが全く違います。
批判って非難する事じゃないんですよ。


だから、僕の物議を醸してる記事も良く読んでくれてる方はわかって頂けると思うんですが、一切、排他してないんですね。これは強く意識してます。

物議を醸した記事

  1. 無能だから就職するんでしょ?僕が新卒で入社するのを辞めた理由。
  2. 今更、ホリエモンの多動力を読む奴は頭悪すぎ。



このタイトルはあえて煽りました。
その方が目を引くからです。

①では就職する事は悪いなんて一言も言ってませんし、②では多動力をオススメしてます。

タイトルは本文の『一部分を切り取ったもの』でしかありません。
切り取り方次第で丸くすることも尖らせることも可能です。


0になにを掛けても0ですが、-10に-10掛けたら+100になりますし、10に10掛けても+100になります。
まずは、-でも+でも感情を呼び起こす事が必要なのです。


その為の煽り。
『ムカつく!』とか『面白い!』って感情があるからこそ、ちゃんと読むじゃないですか。
ちゃんと読んだら、色々思う事が出てくるでしょう。
その瞬間、僕の記事が考えさせられるキッカケになってるんですよ。
それほど、光栄な事はありませんよね。


そして、記事をしっかり読んで頂いた方からは賞賛の声が届いております。
あの多動力の編集者であり、日本で一番イケてる編集者の箕輪厚介さんにも。





頭の悪い方は内容もロクに見ずに排他してこようとしてきます。
が、そうやって賛否集まる事に価値があるのです。
なので、賛否絶賛受付中です。
(頭良い人はそもそも排他しませんが。)←意見は大歓迎です!!有難い。


僕は批判はしますが排他はしませんよ。
何事も表裏一体なので悪い面がある一方で良い面も必ずありますから。


ただ、ハナから




「みんな違ってみんないいよね〜」




こんな事をみつおでもない、名もなき僕が言うたところで、




「知らんがな。」




です。


誰が言うかで印象なんて幾らでも変わります。


良いことを言うから話題になるんじゃなくて、話題の人が言うから良く聞こえるんですよね。


だったら、話題の人になってやろうじゃないの。
結果出してやりましょうよ。
その方が楽しいし、このまま名もなき男で終わるのは悔しいじゃないですか。




だから、何としてでも届けたい!!




その為には、炎上すら利用してやる。
99万人に『死ね』って言われても、1万人から『愛してる』って言われたい。

その1万人を大切にしたい。
それって別に欲張りじゃないでしょ?

卵が先か鶏が先か?



記事をバズらせるのにどういったアプローチを取るのが良いか?

これは、因果性のジレンマで『どちらが先に出来たか?』という話ですが、今回は【質と結果】についてです。
あなたはどっち派ですか?

卵派:質を求めるから結果が出る。



卵派は『質を求めるから結果が出る。』と言う論理。
例えば、ゴーゴーケンゴに置いて言うと、


記事の質を求めるから結果バズる。


こう言う事になりますね。
では、一方で鶏派はどうでしょう?

鶏派:結果を求めるから質が上がる。



鶏派は『結果を求めるから質が上がる』と言う論理です。
ゴーゴーケンゴで言うと、


バズる記事を求めるから質が上がる。


これどっちが正しいか??

両方、正解。



両方別に間違ってないんですよ。
ちなみに僕は圧倒的鶏派です。


ツイッターでも書きましたが、これと同じです。




僕はwebを通して自分というコンテンツを世界に発信していこうと動いてます。
どれだけ、多くの人に影響を与える事が出来るか?
自分の事を見ず知らずの人にまで届けるにはどういうアプローチがベストか?


それを考えた時に【賛否両論集める】と言うのがベストだと思ったんですね。
当たり障りない事を、名もない僕が言っても「知らんがな。」なんですよ。
そこで、自分の主張をいかに工夫すれば、より多くの賛否が集まるか?


嘘は良くない。
じゃあ、自分の意見を鋭く尖らせよう。
これが『煽り』の正体なんですね。


人間って好きな食べ物が一緒の人より、嫌いな食べ物が一緒の人の方がシンパシー感じるんですね。
陰口叩くのも、国家、宗教、色んな人が色んな事に対して悪口を言うのも、全て【共通の敵を作る】ことをしてるんです。


褒める事より、ディスる方がエネルギー必要なんですよ。
だからこそ、そこに賛否が集まる。
その点は、以前書いた【ゴーゴーケンゴと平尾健悟は別人です。じゃあ一体誰なんだ!?】にもあるんですが、

自信持って批判覚悟で生きた方がスポットライトには当たりやすい。

って考えからなんですね。


決して、特定の誰かを非難したりすることはありませんし、感情的になって言いたいことブチまけて終わりなんて事にはしません。
今回でまた一段と文章力が上がったと思います。
これからも日々試行錯誤しながら、刺さる記事を書いていきます!!


ゴーゴーケンゴ 秘密